「モーツァルトのグランパルティータ?知らないなあ、そんな退屈そうな楽器編成になんで作曲してるの?」と、久しぶりに会った友人に言われた。
その友人は、ロンドンの王立音大の作曲科教授をしている作曲家。今、僕が頑張って書いている作品の楽器編成を知って、すぐそんなこと言わなくてもいいのに!とは思ったが、これは作曲家同士ではよくある会話だと思う。
そういう僕も、モーツァルトのグランパルティータは知らなかった。作曲をする前に、勉強も兼ねて、楽譜を見ながら録音を聴きながら勉強はしたと思う。どんな曲だったかは今になっては思い出せないし、もしかすると家で聴いていたので、聴いてる途中に家族からお腹すいたー、料理始めてー、とかアマゾンの注文が届いた、とか色々な邪魔が入っていたのかもしれない。
僕はこの楽器編成は面白いと思った。
僕の「グラン パルティータ」は、半ばホルン協奏曲とも言えるくらい、ホルンが大活躍する。
冒頭もホルンのカルテットで始まる。それは深く、哲学的な意味がある。というのは真っ赤な嘘で、このプロジェクトの話しを最初してくれたのが、友人でホルン奏者の福川伸陽さんだったからだ。しかもフェイスブックのメッセンジャーで。「大さん、モーツァルトのグランパルティータって知ってる?同じ編成で曲書かない?」と聞いてくれたからだ。
音楽作り(ミュージックメーキング)というのは、いろんな、大勢な人が関わる。コンサートの内容を考える人、あの作曲家に書いてもらおう!と思う人、そしてその人にアプローチし、曲ができた後も、演奏してくださる演奏家がいて、本番のその日、その時にやっと演奏されるわけだ。それが世界初演なら、どんな作品も、それはモーツァルトの名作でも、僕のような普通の人が書いた音楽でも、1回しかない。どんな結果であれ、初演というのはやはり特別なもの。
僕のグラン パルティータは、目指したわけじゃないのだけど、どこか雅楽のような響きもするなあ、と作曲中思った。作曲している間、作品が勝手に歩き始まる。作曲が乗っていくと、暴走し始める時もある。そうなると、作曲家はその暴走についていき、作品が作曲家に「これで完成です」と言ってくれるまでその作品のお世話をする、と言う感じだろうか。
今回も、福川くんからのメッセージが始まりだし、4人もホルンいるんだったら、ホルンカルテットで作品を始めて様子みよう、、と思っていたら、こんなふうに作品が歩んで行った。
またこの楽器編成で曲を書いてみたいな、と思えた、とても気持ちの良い作曲期間でした。
藤倉大