未公開 インタビュー「マナヤチャナ」by 吉村栄一

藤倉大と笹久保伸のコラボレーション・アルバム『マナヤチャナ』は紹介が難しい作品だ。ロンドン在住で気鋭の現代作曲家として活躍する藤倉大と、ギター演奏家、作曲家としてのみならず「秩父前衛派」を名乗り、さまざまなアート活動を推進する、もちろん秩父在住の笹久保伸。
現代音楽だが現代音楽ではない、民族音楽だが民族音楽ではない、ポップスだがポップスではない、クラシックだがクラシックではない。
こんな形容しがたい、しかし聴いていると本当に耳に心地よいこの独特のアルバムの誕生のきっかけはFaceBookでのふたりの出会いだった。
以降、アルバムのための共同製作の間もふたりは対面どころか電話での会話もなく、すべてネット上でのコミュニケーション。藤倉の来日にあわせたこのアルバム取材の場が、ふたりの初めての出会いの場となった。

藤倉「1時間前に初めて会いました。あ、名刺なんてもってるんだ。いいな」

笹久保「これ1枚作るのに100円かかるんですよ」

一緒にコラボレーション・アルバムを作ったアーティストが、アルバム完成後の取材時にお互いに初めて会い、名刺を渡す図というのは前代未聞の光景だろう。

笹久保「ぼくはもともと藤倉さんのことや曲を知っていました。日本でクラシック音楽にかかわっている人、プレイヤーであれば、藤倉さんのことはほぼ全員知っているはず。で、ある日FaceBook(以下FB)をやっていたら藤倉さんのアカウントが出てきて、友達申請をしたんです」

藤倉「友達申請が来て承認したんだけど、いざ笹久保君のFBのタイムラインを見たら、けっこう過激な投稿とかあるんですよ。それを読むとおもしろいんだけど、やっぱり過激な人なんじゃないかなあって、わりと距離を取ってた(笑)」

笹久保「ええっ!?」

藤倉「だって、いろんな人やモノを攻撃していて、その矛先がぼくに来たらイヤじゃん! だから笹久保君のサイトに行って音楽は聴いたりしていたんだけど、交流と言えるほどの交流はなかった」

笹久保「ぼくのほうはすっかり気軽な気分になっていて、藤倉さんはこれまで“Sparks”というギターの曲を書かれているんですが、ぼくはそれはいい曲だけどちょっと短すぎるなあ、もっと長いギターの曲はないのかなと思ってた。それでメッセージを出して、ほかにもギターの曲はありませんかって気軽な感じで問い合わせたんです」

藤倉「それがものすごく丁寧なメッセージで、本当にあの過激な人のメッセージなのかってびっくりしちゃって、それで気を許して交流が始まった(笑)」

と、ここで、初対面のふたりはそれぞれの生い立ちや経歴などを訊ねだし、さすが初めて会った同士の会話ってこういうものだなという初々しい雰囲気を醸し出すが割愛。

笹久保「そう、結果的にギター曲はほかになかったんですけど、それを機にメッセージをやりとりしたり、FBでコメントしたりしているうちになにか盛り上がってきたんですね」

藤倉「最初はギターの曲を書いてくれないか的な話だったんですけど、曲を委嘱されるって、クラシックの世界では手続きなんかがいろいろと面倒なんです。助成金の申請が必要だったり世界の音楽祭のどこで初演するかとか、調整に2〜3年かかるのもざら。いま書いている曲は2年後の初演のための曲だとか、そういうペースになったりする。お互いに事務所もあるし、なんか、それだったら、ぼくが曲を書くというより、ふたりで一緒になにか音楽作ろうかって話になっていたんです」

笹久保「ギターの曲はないって言われた時点で、まあ、しようがないと思ったんですけど、なにか一緒にしたいねって話は続いてたんです」

藤倉「ぼくらふたりとも個人でCD作っているんで、なにか一緒に音楽を作って、お互いのレーベルで出せばいいんじゃない? みたいな。日本では笹久保君のところ、海外ではぼくのところ。CDでもいいし配信でもいいしって」

笹久保「ちょっと意外だったのは、メッセージでやりとりして話を聞くと、CD作りの大変さとかお金のなさとか、本当に共通する悩みや境遇なんです。藤倉さんはテレビなんかに出てる有名人だから、ロンドンでスポンサーがいっぱいついて優雅にやっているのかと思ったら全然、ぼくと同じだった」

藤倉「お金まったくないですよ、大変ですよ」

笹久保「それで親近感もすごく湧いて…。一方、藤倉さんは戦っているフィールドが日本じゃなくて、つねに最先端のことをやっている。“Sparks”のようなギターの曲をもっと書いて欲しいなって思いがまずあったんです。ギターのプレイヤーで藤倉さんの音楽を知っている人ならみんなそう思ってるんじゃないかな」

藤倉「ギターの曲の委嘱はそもそもほとんどなくて、“Sparks”も委嘱されたのではなく、アメリカのあるギタリストに頼まれて書いた曲で、そのあとICEのギタリストが録音してくれた作品。で、曲を委嘱されて書くとなるとクラシックの世界だと2〜3年はかかっちゃうし、今回はもう、やりたいことをいますぐやろうと。誰に頼まれたわけでもないから自由にすぐやろうって気分になった。あ、ちがう、その前にギターの曲をということなので、わかった、ぼくの事務所と笹久保君の事務所でどういうスケジュールでギターの曲をぼくが書いて、笹久保君がどこで初演するか調整しましょうというやりとりをして、笹久保君もそうしましょう! ってなったじゃん!」

笹久保「(笑)」

藤倉「それで次の日に起きて笹久保君のFB見たら“事務所辞めました”って投稿が!」

これで曲の委嘱という話は突然死したが、一緒になにかをやりたいという気持ちは逆に強くなった。委嘱でなければ逆にすぐできる、始められる。当時、藤倉は来年3月にパリで上演されるオペラ『ソラリス』の音楽製作のために、フランス国立音響音楽研究所(IRCAM)の先端的な音響設備、ソフトを自由に使える環境にあり、オペラの音楽と同時に別の音楽的実験もしたいという意欲もあった。ふたりは、IRCAMの独自の音楽ソフトを活用して笹久保のギター演奏の音を素材として、それをいわば音符がわりに新たな音楽作品を作曲していくことにした。

笹久保「ぼくがスタジオで一回2時間とかでギターのフレーズをいろいろと弾いていって、そのファイルをロンドンの藤倉さんのところに送って、藤倉さんはそれを細かくサンプリングして、こっちが思ってもいない音楽ファイルに編集=作曲して戻してくる。ファイルをひとつ送ると、時差の関係でこちらが起きる頃にはもう1曲として戻ってきてる。それに新たにギターを足してまた送ったりっていう、すごくスピーディーに曲ができていったんです。ギターのダビングが必要なくて一往復でできちゃった曲もあるぐらい。自分の音なんだけど、それがすごく変貌している。たしかに自分が弾いたギターの音なんだけど、それが思いもよらなかったフレーズやメロディに編集されてる。中には、これ絶対に自分が弾いたギターじゃない、リズムなんて弾いてないのにリズムのリフが入ってる。なんで藤倉さんは他人にギターを頼んだんだろうって曲もあって、ちょっとムッとして訊いたら、それもやっぱり自分の演奏から編集したリフだったり…(笑)。ぼくはやっぱり年齢のせいか弾きすぎちゃうことも多くて、それを藤倉さんがうまく引き算的に必要なところだけギターの音を取り出してくれているという感覚もありました」

藤倉「でも、削って弾いた部分がほかの曲の重要なパーツになったりとかも。最初はギターを加工して送り返したときはドキドキでしたよ。こんなに元の演奏から変えちゃって怒られるんじゃないかと。でも、クレームやNGがまったくないから、逆に気を使われてるのかな、とか」

笹久保「いや、ぼくは普段はけっこう口うるさいって言われるほうなんですよ。そういう使われ方はいやですってすぐ言うし。でも、今回に限ってはまったくそういう気持ちになる瞬間がなかった。ただただ、これはすごい! って驚くばかりで」

製作が進むに連れて、ふたりはより打ち解け、それぞれ遠慮なく自分の音楽的カラーを出していくことになった。

笹久保「最初は藤倉さんはアカデミックな現代音楽の人だし、ぼくの素養のペルーの民族音楽なんて興味ないだろうなって、その色を押さえて弾いてたんです」
藤倉「逆にぼくは、あれ? なんで南米の要素が薄いのかなあ、もったいないなあって、ぼくのほうでギターを加工して南米っぽい要素を強くしてみたり」

笹久保「そう、藤倉さんはいろんな音楽を聴いていて民族音楽もちゃんと聴いてる。むしろ、現代音楽にするんだったらこのプロジェクトはあんまり意味ないなと気づいてもっと自分の色を出すようにしたんです」

藤倉「だって現代音楽だったら、自分ひとりでできるから。それに現代音楽のギタリストとは一緒に共同作業したくない。なんとなくだけど、気難しそうだし(笑)」

思いもよらないスピードで作品が完成したのは、ふたりが楽しみながらこの作業に臨んだ証拠だろう。

藤倉「とにかく楽しむために作った作品。構成がうまくいかないときも、趣味でやってるわけだから、うまくいかないとこは、じゃあ、ばっさりカットでいいやって、いい意味で無責任になれた」

笹久保「ふたりとも、メインの仕事はそれぞれやりつつ、いわば息抜きとしてこのアルバムの音楽を作ってたんです。藤倉さんはオペラ、ぼくはアルバム『秩父の歌』を録音してたので、その合間にプロの趣味としてやってた」

藤倉「そう仮に失敗したり途中で頓挫したところで他人に迷惑はかからないし、完成も締めきりがあるわけじゃないからいつでもいい、そういう気楽な気持ちでやってたら、逆にあっという間にできてしまった」

笹久保「最初はアルバム1枚分ぐらいになるまで時間かけてゆっくりやりましょう、なんて言ってたのに、1か月でできちゃった(笑)」

この楽しい作業はやがてふたりの周囲のアーティストや関係者の間で話題になっていく。

藤倉「一日にMP3で3ファイルを交換とか混乱してきたので、ぼくのサイトにクローズな掲示板を作ってそこにアップして時系列の確認をするようになった。そうしているうちに誰か外部の人の感想も聴きたくなって、坂本龍一さんやデヴィッド・シルヴィアンとかいろんな人に聴いてもらってたら、ソニーの人がすぐに反応してくれた。うちから出したい、と。最初はソニーって超大手だから、リリースまでに1年かかるとかめんどくさいことをいろいろ言われるんじゃないかと警戒して(笑)」

笹久保「アーティストの感覚だと、やはり作ったらすぐに出てほしいですもんね」

藤倉「そう。熱気が残っているうちに出てほしいよね。それが担当の人の熱意で異例の早さで出ることになった。でも、それでもまだ警戒してて(笑)、曲のタイトルを全部ケチュア語(ペルーなど南米諸国で使用されている言語)にしたいとか、マスタリングも自分でやるとかソニーでそれが通るかどうかっていう要求を次々して、ひとつでもNOって言われたら出すのやめようとか(笑)。全部通ってありがたかったんですが」

こうして完成した『マナヤチャナ』。この取材の日にふたりの初対面が実現し、その翌日にはなんとインストアでのライヴ演奏も行われた。楽譜のない、しかもコンピューター上でエディットしたからこそ成立した音楽をどうライヴで表現するのか。この取材の最中から相談をしていた両者は、けっきょく、コンピューターによる音響と笹久保のギター演奏、そこになんと藤倉のピアノとキーボードの演奏を重ねるという手法を取った。『マヤナチャヤ』のライヴでありながら、それはアルバムの再現ライヴにはならず、その素材を使った新たな作品の創造の場でもあった。
どうもふたりはマナヤチャナをバンド名にして、新たな共同作業を始めそうだ。

(吉村栄一)




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